慶應義塾大学ユニコーンズ
ご挨拶 スケジュール 試合結果 ニュース 部員紹介 部の歴史 グッズ サイトマップ リンク

1951年甲子園ボウル

1964年第12回早慶戦

昭和39年試合

昭和47年の部員

昭和51年初の人工芝試合

2005年クラッシュボウル

慶應義塾大学体育会アメリカンフットボール部の歴史

我が慶應義塾大学体育会アメリカンフットボールは、昭和10年(1935年)当初クラブ組織として発足した。

ハワイ大学出身の日系二世の船田敬一(ハロルド・フナダ)氏を監督に迎え、アメリカ日系二世の3名(中上氏・今村氏・竹村氏)が高校のフットボール経験者、片岡恒一氏を主将とする総勢28名でチームは設立された。
昭和9年に立教・早稲田・明治が創部し、翌年慶應・法政が続いて創部する形となり、昭和10年の秋にはリーグに加盟し、東京五大学リーグの一員となった。

昭和16年、太平洋戦争が勃発し、フットボールも適性用語の使用を禁じられ、「鎧球」(ガイキュウ)に改められるもリーグ戦は継続して行われた。

わが部の戦績は徐々に上位に入り、昭和17年秋までは2位を維持した。
昭和18年から終戦の20年までは部活動停止を余儀なくされた。

昭和21年、慶應義塾体育会加入が認められ、活動が復活した年にわが部は快挙を成し遂げた。
東京六大学リーグ優勝に続き、第1回甲子園ボウル(東西大学王座決定戦)で、同志社に45対0で勝利し、初代学生王座に就いた。
また、昭和23年
(1948年)にも「関西大学」と戦い、14対7で再び学生王座。
以後2年続いて関東制覇を果たし、甲子園ボウルに出場し準優勝を収めた。
戦争で多くの部員を失い、戦後の復興の中での快挙は、後世に伝えられている。

昭和40年代以降はリーグ戦中位にとどまることが多かったが、
1988年、1989年、1990年、1993年と6年間に4回、関東選手権に駒を進めた。

しかし、あと1勝で甲子園ボウル復帰まで近づいたが、いずれも涙をのんでいる。
の後、チーム力はやや下降し1999年には一部6位となり、2部の防衛大学との入れ替え戦に敗れ、部史上初の2部陥落を経験した。

翌2000年全勝で一部復帰を果たし、2005年と2006年には2年連続で一部リーグ2位からプレイオフを勝ち上がり、12年ぶりに関東選手権決勝まで駒を進めている。
一部校で唯一、正式な試合が出来ない狭いグラウンドでの練習を続けながら、常に関東トップレベルのチームを作り上げてきた慶應義塾大学アメリカンフットボール部は、今年で創立72年を迎え、OB総数1194名、現役部員約150名によって1950年以来途絶えている甲子園ボウル出場を虎視眈々と狙っている。

1955年リーグ戦ポスター

1964年卒業生送別会

1964年岳合宿

1989年関学戦勝利

1981年パルサーボウル

2005年クラッシュボウル

2005年クラッシュボウル

ユニコーンズ戦績
歴代個人記録
TOPページへ